30代前半子持ち会社員の転職ブログ

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母と私

こんにちは。

 

昼にスーパーでニンニク餃子を

買ってきました。

焼いて食べたら予想以上にニンニクが強い。

 

私に誰も近寄らなくなってちょっと

傷ついているポルコと申します。

 

前回料理の話で母が出てきたので

母との思い出について綴ります。

 

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母は明朗を絵に描いたような人です。

集団の中にいれば中心となり、

いつも周囲を笑わせています。

 

かと言ってリーダーになる訳でも無く。

マスコット的な存在なようです。

 

そんな母親に育てられて光栄であります。

 

しかし

私は母とウマが合いません。

全く気が合わない。

 

何故なのでしょうか。

ザコンを通り越して憎いのでしょうか。

 

ウマが合わない理由を考えてみました。

 

【理由①】元々距離があった

 

うちの父母は夫婦共働きでした。

私が幼稚園までは専業主婦だった母も、

私の小学校入学と同時に職場復帰。

 

不自由無い暮らしをさせて

貰いましたが、一緒に居る

時間は少なかったと記憶してます。

 

理由②母親は絶対

 

母は何かにつけて、高圧的に私に

接して来ます。

 

話し方もこうです。

 

アンタは私の言う事を聞けばいいの。

私が絶対正しいんだから。

 

そして、他人とも比較してきます。

 

〇〇君はあんなに出来るのに

アンタはダメねぇ。

 

みたいな。。笑

 

今となっては母なりの期待を込めて

言った言葉だと分かりますがね。

 

そんな母ですから、私の主張を

聞いてくれた事がありません。

 

そしていつの間にか距離が

出来てしまいました。

 

普通はグレそうなものです。

 

それでも私はグレずに真っ直ぐ

育つ事が出来ました。

 

その理由は父親と祖父の存在が

大きいのですが、その話はまたいつか。。

 

母とは今でも電話で喧嘩します。

むしろ、ほぼ喧嘩です。

お互いにお互いの話を聞かないからですね。笑

 

そんな私と母の関係。

 

さりとて私は母が好きです。

 

嫌いにならない、が正しい表現

かもしれません。

 

私は幼少期、喘息を患っていました。

いわゆる小児喘息です。

 

風邪をひいては喘息になり、

季節が変われば喘息になり、

笑い過ぎただけで喘息になり。

 

夜中いつも苦しくて泣いていた

記憶があります。

 

そんな時はいつも母がそばにいてくれました。

 

リビングのソファに座って、

私の背中をさすり続けてくれました。

 

私は苦しくて泣いています。

それよりも

母を見ると、母の方が泣いているんです。

 

嗚咽を漏らしながら背中をさする母の姿。

母はその間ずっとこう言っていました。

 

「代わってあげたい」

 

これが私の思い出せる最古の母との記憶です。

 

三つ子の魂百まで

 

とは若干意味が違いますが、しっかり

母の愛を感じた記憶があるのです。

 

だから私は母を好きなのだといつも思います。

 

母とは今後もウマが合わない事請け合い

ですが、なんとかやっていこうと思います。

 

たまには電話してみようかしら。

 

以上