30代前半子持ち会社員の転職ブログ

日々の生活、転職、趣味、自己啓発

ダメな部分、弱点

こんにちは。

 

今朝、パパのトイレは長いと4歳の娘に叱られたポルコと申します。

 

トイレって癒されますよね。

 

さて、今回は自分の嫌な所、弱点について

綴っていきたいと思います。

 

病んでません。笑

見て下さってる皆様に、ありのままの

自分を伝えたいのです。

 

早速ですが、私の弱点は大きく3つあります。

 

①甘ったれである事

②気が弱い事

③何事も長続きしない事

 

①甘ったれである事

私は家族親戚合わせての末っ子であり、

唯一の男子として産まれました。

 

だからなのか私は甘えん坊として育ち

自分に甘い性格になってしまいました。 

 

いつでも誰かが助けてくれるだろうとの

思いから、ついつい自分に甘くして

しまいます。

 

②気が弱い事

そんな甘えん坊の私は心身共に強い

父母に育てられたからなのか、

とても気が弱い。

 

とにかく見た目と言動が怖い父の機嫌を

いつも伺っていました。

 

父はゼネコン(ダム屋)だったからか

分かりませんがいつも眉間にシワがよって

おり、怒った時は誰かれ構わず

怒鳴りつけていました。

 

ある時、父にポケットモンスター赤

買って貰った時の事です。

 

店員さんの態度が気に食わなかった父は

「〇〇円、です、だろ。言ってみろゴルァ」

と壮絶に怒鳴っていました。

それが恐怖の始まりです。

キレてる父の姿を色んな所で見ましたし、

私の友達に凄んでいる姿も見ました。

いつかこの人は暴行恐喝で逮捕されると

本気で思っていました。

 

父の恐ろしさは私に対しても同様で、

怒鳴る、殴る、蹴るの三拍子。

 

私は大人や目上の人の顔色を

伺う性格になりました。

今でも誰かに怒鳴られるとその記憶をうっすら

思い出します。

 

私は父を怖がっていましたが、実はそれより

父と一緒にいるのが恥ずかしいと

思っていました。

 

友達に見られたら最悪。

ポルコの父ちゃんやばい奴だぜ!

と思われたく無かった。

そして、父には逮捕されて欲しくなかった。

他人に迷惑をかけて欲しくなかった。

 

なので恥ずかしい思いをしないよう、

父の行動をよく観察し、父が怒りそうな

事は私が見てる限りて全て先回りし、

私が代わりに済ますようになりました。

 

相手をよく観察する癖はそこで

培ったのかもしれません。笑

 

③何事も長続きしない事

これは本当にそうです。

小学生から様々な習い事をしていましたが

どれも長続きしませんでした。

 

柔道、水泳、野球、英語、塾と通って

きましたが何一つ長続きしませんでした。

唯一野球は小学生から高校までやりましたが

高校では早々に競争の熾烈さ、受験との

兼ね合いから逃げ出し本気で参加して

ませんでした。

 

小学校低学年で習った柔道は

歳上にいじめられ、同級生の

女の子にまで痛めつけられ

嫌で嫌でいつも泣いていました。

そしてすぐ行かなくなりました。

 

水泳は喘息対策の為に習いましたが

泳ぐ事を楽しいと思ったことが無く

すぐ行かなくなりました。

 

塾は小学生から高校まで所々通いましたが

全て嫌になり行かなくなりました。

 

私は高校3年生になるまで成績最低であり、

高校2年の1学期の中間試験で赤点を

11科目取るという離れ技を披露。

学校から親が呼び出されました。

 

このままだと進学出来ないと学年主任と

担任から言われ、焦った母は英語を

習わせる為に、知り合いの家に私を

無理やり通わせました。

しかし理由を色々つけ、行くのを辞めました。

 

大学でも野球のサークルに入っていましたが

すぐに幽霊化し、行くのを辞めました。

 

そのように私はダメダメに育ちました。

上記の弱点は今も抱えていますが、

私なりに培ってきたものもあります。

 

①甘ったれについて

これは大学に入った時にある程度解消

されました。

大学ではクラスも無く、担任もおらず

友達も勝手には現れない。

 

誰も助けてくれません。

甘える事は許されませんでした。

一時期はそれを病み、大学に行くのを

辞めようとしました。

 

1年生のある日、哲学の先生に

 

「目の前の事を一つづつ片付けなさい。余計な事は何も考えなくて良いから。」

 

と言われその通りにしたら解消されました。

出来る事が少しづつ増えていったのです。

 

それでも出来ない事はあります。

そんな時は、正直に伝える事にしました。

 

ある授業では、学んだ事が理解出来ず、

先生に聞きに行っても分からない事が

ありました。

 

私は友達に正直に伝えてみました。

「授業で分からなかった事があるんだ。迷惑だと思うけど教えて貰えないだろうか。」

 

甘えん坊の癖に周りからサポートを受けていた

せいか、人に何かをお願いするのは

初めてでした。

 

するとその友達が何と親身になってくれた

事か。その友達のおかげで私は卒業出来、

今でも飲みに行く仲です。

 

分からない事、出来ない事はちゃんと言って

サポートして欲しい旨を伝える。

 

ただ甘えるのでは無く、出来ない自分を真摯に

見つめ、誠実に相談する。

 

簡単に言えば、自分から行動するという事。

 

生きていく上で大事な事だと思います。

 

②気が弱い事について

これは今も変わりませんが私が変わった場面は

2つあります。

 

1.父に反発した

父に何も言えない私は全て父の敷いた

レールの上を走り、中学受験を

父に決められていました。

 

でも地元の友達と一緒に居たい。

 

ある休日の昼間、私は意を決して

父に伝えました。

 

中学受験をしたくない。

 

父は言いました。

そうか出て行け。顔も見たくない。

 

普段なら泣きながら許しを乞う私ですが

その日は違いました。

泣きながら家を出たのです。

 

そのまま曽祖母の家に直行。

曽祖母の膝で大泣きしました。

 

当時は曽祖母が生きており、一人暮らし

していました。

 

当時は携帯電話も無い時代、父母は私を

探し回ったそうです。

曽祖母がすぐではなくなぜが夜になって

父に電話し、父母が迎えに来ました。

 

怒られるのがまた怖くて震えていた私に対し

父はこう言いました。

 

「分かってやれず、済まなかった」

 

父は話が分かる人だった事に初めて

気付きました。

それでも結局受験しましたが笑

 

意外と話せば分かって貰える事を

理解した私は、気の弱さで何かを遠慮する

事は無くなりました。

 

2.甲本ヒロトに救われた。

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私、THE BLUE HEARTSが大大大好きで

様々な場面で救われました。

詳細は別で綴りますが、ボーカルである

甲本ヒロトさんに救われました。

 

私は気の弱さから、人から怒られる・嫌われる

事を極端に恐れていました。

ですがどうしても私の言動に怒りを感じる、

嫌いになる等の事を言われ思い悩む時期が

ありました。

主に高校、大学時代です。

 

ある時、動画サイトで甲本ヒロトさんの

インタビューを観ていました。

その時ヒロトさんはこう言っていました。

 

「言いたい事は言う、その時は心を込めて言う」

 

私は衝撃を受けました。

普段の私は嫌われるどころか、何も考えず

言葉を発している事に気付きました。

 

今もろくに考えず発言していますが

人に意見する時は2つの事を考えて

発言するようになりました。

 

心から思った事かどうか

相手の為を思った発言かどうか

 

上記を意識して発言しても

人と対立する事、嫌われる事はあります。

ですが後悔をしなくなりました。

また、自分を責める事も無くなりました。

 

価値観の違いという落とし所に

昇華出来るようになってからは、

自分の気の弱さとうまく付き合えるように

なりました。

 

③長続きしない

これは理由が明確でした。

何も長続きしないのは単純に自分がやりたい事

をやって無かったのです。

 

人生で私が自分から選んだのは大きく2つ

 

通う大学

入社する会社

 

両方辞めようと思いましたが、大学は上記

の事で辞めずに粘りました。

 

さて会社についてですが、これも

11年間、自分が納得するまで勤める事が

出来ました。

 

入社早々私はピンチに出会います。

東京生まれ東京育ちの私は、あるお店の

副店長として名古屋に赴任します。

初めての一人暮らしです。

 

また、弊社アルバイト経験者が多数の中

私はアルバイトを経験しておらず

お荷物社員でした。

 

周囲の副店長が着々と活躍し始める中、

ろくに業務の分からない私は

毎日店長や上司に怒られ、

日々反省しながら業務を行いました。

 

ある日、深夜勤務を終えた私は

激しい腹痛に襲われ救急車で病院に運ばれます。

 

病名は胃潰瘍、十二指腸潰瘍、盲腸炎

トリプルパンチ。入院決定。

出世は遠のいたと思いました。

 

 

入院生活では死んだように眠り、

当時オーラの泉檀れいさんが

出ていた回だけなぜかテレビを観ました。

 

親には迷惑をかけまいと

連絡しませんでした。

 

オーラの泉檀れいさんが学生時代、

辛い時は母親に電話をしていたと

言っていたので私も退院し、

父に電話する事にしました。

 

心配をかけたくないので、それとなく悩んで

いる事を伝えようと言葉を考えました。

 

俺、うちの会社向いてないかもしれない!

テヘ!

 

ぐらいのノリでしょうか。

 

電話口に父が出て、どうした?と

言われました。

 

よし言うぞ!

 

俺、、、今の会社、、、

 

そこから涙が止まりませんでした。

5分は泣き崩れていたと思います。

 

情けなさ、悔しさでずっと立ち上がり

続けていましたが、家族という安心感で

私のダムは決壊しました。

 

ぐしゃぐしゃになりながら現状を話し

過呼吸ぎみの私に対し父はこう言いました。

 

嫌なら辞めた方が良い。無理をするな。

帰って来い。

辞めるか、、、?

 

私はこう言いました。

 

「嫌だ!辞めない!!」

 

実はこれ、オーラの泉で観た檀れいさんと母親のやりとりと全く同じなのです。

 

檀れいさんも辛い時、お母様に電話し

 

辞めても良いんだよ?

 

とずっと言われていたそうです。

その都度「辞めない!」と立ち上がり

その結果宝塚や女優として成功されました。

 

電話中私は何も考えられませんでしたが

同じシチュエーションに対し

 

檀れい=成功者=真似をしよう

 

という気持ちで「辞めない!」と言いました。

 

すると自然に闘志が湧いて来ました。

そこから私の快進撃は始まりました。

と言っておきます。笑

檀れいさんには感謝してもしきれません。

 

とにかく、檀れいさんの生き方を真似した

私は気付いたら、粘り強く取り組む事が

出来る自分に気付きました。

 

そこからは自分を長く続かないと思った

事はありません。

 

さらに副産物として、人から学ぶ事が

成長への近道だと気付いた私は読書を

より加速させました。

 

特に伝記系です。

松下幸之助

デールカーネギー

ウォーレンバフェット

ティージョブズ

ダンケネディ

勝海舟

米内光政

山本五十六

井上成美、、、

歴史上の人物については司馬遼太郎さんの

本をよく読みました。

そこから時代劇も好きになり池波正太郎

藤沢周平もほぼ全巻読みました。

最近では葉室麟佐伯泰英なども読みます。

密命シリーズ、最高ですね!!

 

とにもかくにも、私はそうやって

弱点と上手く付き合っています。

共通している事は、学んで来た、という事です。

 

長々と長文をすみません。

 

何書いてるか自分でも分からなくなりそう

ですが、確かに積み上げた物があるんだと

誇らしくも思います。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

以上